鍋料理が庶民の暮らしの中に入ってきたのは、明治以降である。明治2年(1869)に江戸市中に牛鍋屋が相次いで開店、この新風俗をいち早く小説に仕立てたのが仮名垣魯文の『安愚楽鍋』(1871)である。その中で魯文は「士農工商、老若男女、賢愚、貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」とまで言い切っている。牛鍋こそが、庶民にとって一番身近な文明開化であった。
牛肉、葱、焼豆腐などを割り下で煮ながら食べる料理を、東京では牛鍋と呼んできたが、大正12年(1923)の関東大震災後、すき焼きという関西の名称が用いられるようになり、一般化した。震災を逃れて下阪した歌舞伎役者がこの言葉を持ち帰ったと言われる。
『料理早指南』(1804)によると、もともとすき焼きは雁、鴨、カモシカなどの肉をたまりに漬け、使い古した唐(から)すきの上で焼いて食べた料理であり、牛鍋とは起源が異なる。この時の混同が、今もなお鍋学会最大の論争となっている「すき焼きは鍋物か」というテーマをもたらしている。げに、食いものの恨みは恐ろしい。